医療事故調査制度に関する考察

                                八木 謙

平成26年「地域における医療及び介護の総合的な確保を推進するための関係法案に関する法律案」が通過し、医療法6条の9項から27項までが書き換えられ、医療事故に該当する患者の死は届けなくてはならないという趣旨の法律になった。

改正された医療法6条の9項から27項までをつぶさに読んでみた。5千字程度の文章である。読んでいて奇妙な事に気が付いた。

病院、診療所又は助産所(以下この章において「病院等」という。)の管理者、つまりこれは院長となる。そして当該病院等に勤務する医療従事者、これは主治医という解釈でいい。この法においてこの院長が主語になっている文が10個ある(補注)。対して主治医が主語になっている文章は0である。そして医療事故調・支援センターが主語の文は13個。厚生労働大臣が主語が6個となる。不思議なのは主治医が主語の法文が一つもないことである。事故を起こした当事者はどうすればいいのかという視点でこの法文を吟味してみた。なぜ主治医が主語の法文が0なのか?理由は憲法38条である「何人も、自己に不利益な供述を強要されない」。もし文中に主治医は調査に協力しなくてはならないとか行われた医療内容を報告しなくてはならないとかする文言があると、この法は主治医に自己に不利益な供述を強要したと見做される。憲法違反の文言が1つでもあるとこの法文全体が無効となる。調査、報告の義務をすべて院長に負わせることにすれば院長はその医療行為の当事者でないのでいくら調査しそれを報告しようが自分自身が刑事訴追される恐れはない。つまり憲法38条に反さない。そこで院長を主語にし、①院長は医療事故・支援センターに報告しなければならない6-10-1、とか②遺族にその事を説明しなければならない6-10-2、とか③医療事故調査を行わなければならない6-11-1とした法文を作成したのである。では主治医はどうすればいいか。何もしなくていいのだ。何もしなくてもこの法の違反にはならない。院長はそうはいかない。院長が調査、報告を怠ればこの法に反する。しかし院長が頑張って調査、報告をしようとしているのを横目に見て主治医は黙っていられるだろうか。主治医もこれに協力せざるを得なくなる。この法の眼目は主治医からの自白を引き出すことである。これはそうせざるを得ないという空気をつくる。そうして主治医に協力させる。そういう作戦である。山本七平は日本は空気で動く国であると喝破した。空気の力で憲法38条を無効にしようとしている。この国ではどんな極悪犯でも自分を守る権利は保障されている。医師だけはその権利を放棄しろと言うのか。この調査で得た情報は裁判で有効である。だから裁判となった時は闘わない、相手の言うとおりになると決めている人は調査に応じていい。しかし裁判になったら闘う、あるいは闘うか闘わないか未だ決めてないという人は無闇に調査に応じるべきでない。自分の弁護士と相談して提出していい情報と提出すべきでない情報を峻別しておく必要がある。脊髄にウログラフィンを入れて患者を死なせてしまったというような事例は裁判にならない。医師が自分のミスだと認めているのだから。裁判になるのは患者側は医療事故だと主張し医師側は事故ではない病気の悪化の為の死だとその主張が対立するときである。ウログラフィン事件などは調査に応じなくても事実関係は明白である。診療録を読めばいい。むしろ下手に調査に応じ、プライドの高い医師で、文献を読み脊髄にウログラフィンを入れたら死亡する事は知っていたと回答したら、これは知っててやった事だから殺人になる。知らなかったということで業務上過失致死で済むのだ。何人も心の中まで公開する必要は無い。

医療事故調査・支援センターが主語になっている文を見る。

補注3―④医療事故調査・支援センターは院長に対し、文章・口頭による説明、資料の提出、その他必要な協力を求めることができる。6-17-2 

そして医療事故調査・支援センターは以下の条件下に置かれる。

補注4―④厚生労働大臣は、医療事故調査・支援センターの事務所に立ち入り、調査等業務の状況若しくは帳簿書類その他の物件を検査させることができる。 6-24-1

更に院長が協力しなかった場合に対する罰則として、

補注3―⑤医療事故調査・支援センターは院長が文章・口頭による説明、資料の提出、その他必要な協力を拒んだときはその旨を公表することができる。6-17-4

というのがある。こういう文章を法律の文の中に入れるなんてこの法文の作成者の底意地の悪さが滲み出ている。温情のある院長や調査員が得られた情報を公表すれば主治医の立場が悪くなると考え、その情報を出さないようにしようとするのを防ぐ、がんじがらめにしてすべての情報を引き出す魂胆である。しかし1つ抜けている箇所がある。主治医が口を割らなければ何の情報も得られないのである。主治医が口を割らなければ得られる情報は診療録のみである。だがそれでいいのだ。院長はそれで判断し報告すればいい。

 この制度の目的は真実を究明する事であると言っているが、それが目的なら医療事故も飛行機事故と同様に当事者に無責待遇を与え捜査への協力を依頼すべきである。それができないなら主治医は自分の身は自分で守る、その権利を奪ってはならない。

 

医師法21条は無くなるか?

 疑いを知らない医師達は医療事故調査制度ができれば医師法21条の異状死の警察への届けは無くなると言われそう信じてきた。だからこの制度が出来ることに反対しなかったのだ。むしろ賛成した。だがこの制度が成立してから3年経つが医師法21条が無くなる気配はない。ちょっと考えれば分かる事だがこの制度が医師法21条の代替えになることなど有りようがない。今後も医師法21条が消えて無くなることなどないだろう。医師達は騙されたか。いや騙した訳ではない。医療事故調査制度の推進者は本当にそう信じていたのだろう。医師法21条が無くなるように努力したのだ。しかし医師法21条は廃止にならなかった。決して騙した訳ではない。

 ならばこうも言える。院長、調査員は主治医から聞き取り調査する努力はした。しかし主治医からは何も情報を得られなかった。調査の結果何も得られなかったと報告した。これはこの法を破ったことにはならない。努力はしたのだから。

 主治医は調査に応じなくていい。院長は調査に応じ、更に自分でも調査しなくてはならない。これは前に述べた。では一人開業医の場合はどうなるだろうか。一人の人間に主治医という人格と院長という人格の2つの人格が存在する。院長でもあるのだからこの法に従わなくてはならないだろうか。この場合一人の人間に存在する2つの人格では憲法に護られている個人の権利を持つ主治医の人格が院長の人格に優先される。つまりそこにいるのは院長でなく主治医である。一人開業医にとってこの法は何の意味も持たない。病院であっても院長が該当医療の当事者である場合は同様である。

 また調査委員や院長が主治医に聞き取り調査を行う場合「先生、お隠しにならずすべてお話になられた方がご自分の為ですよ」などという言葉は発してはならないだろう。これは自白の強制に他ならない。この場面で使う言葉は「先生、あなたには黙秘権があります。なお、供述は、法廷であなたに不利な証拠として用いられる事があります。あなたは弁護士の立会いを求める権利があります。もし自分で弁護士に依頼する経済力がなければ、公選弁護人を付けてもらう権利があるのです」でなくてはならない。ん!どこかで聞いたようなセリフだな。

 

補注)医療法6条9項から27項の法文を管理者を院長、当該医療従事者を主治医と書き換えて整理した。

1、病院等の管理者(院長)が主語

   院長は医療事故が発生した場合遅滞なく医療事故・支援センターに報告しなければならない。6-10-1

   院長は医療事故・支援センターに報告する場合、あらかじめ遺族にその事を説明しなければならない。6-10-2

   院長は医療事故が発生した場合、医療事故調査を行わなければならない。6-11-1

   院長は医療事故調査等支援団体に調査を行うために必要な支援を求めるものとする。6-11-2 (任意規定)

   院長は医療事故調査を終了したときは、遅滞なくその結果を医療事故・支援センターに報告しなければならない。6-11-4

   院長は調査結果を医療事故・支援センターに報告する場合、あらかじめ遺族にその事を説明しなければならない。6-11-5

   院長は医療の安全を確保するための指針策定、従業者に対する研修の実施を講じなければならない。6-12

   開設者、院長、従業者、患者等は住民に対し医療の安全の確保に関し必要な情報提供を行うこと。6-13-2

   院長は従業者に対し、医療の安全に関する研修を実施すること。6-13-3

   院長は医療事故・支援センターから資料の提出その他必要な協力を求められたときは、これを拒んではならない。6-17-3

 

2、主治医が主語の文章はない。(ただ以下のように使われている)

病院、診療所又は助産所(以下この章において「病院等」という。)の管理者は、医療事故(当該病院等に勤務する医療従事者が提供した医療に起因し、又は起因すると疑われる死亡又は死産であって、当該管理者が当該死亡又は死産を予期しなかつたものとして厚生労働省令で定めるものをいう。6-10-1

 

3、医療事故調査・支援センターが主語

   医療事故調査・支援センターは名称、住所等を変更するときは、あらかじめ、その旨を厚生労働大臣に届けなければならない。6-15-3

   医療事故調査・支援センターは、次に掲げる業務を行うものとする。一、情報の収集 二、院長に結果の報告 三、遺族に結果の報告 四、五、六、七 6-16

   医療事故調査・支援センターは院長又は遺族から調査の依頼があったときは、必要な調査を行うことができる。6-17-1

   医療事故調査・支援センターは院長に対し、文章・口頭による説明、資料の提出、その他必要な協力を求めることができる。6-17-2

   医療事故調査・支援センターは院長が文章・口頭による説明、資料の提出、その他必要な協力を拒んだときはその旨を公表することができる。6-17-4

   医療事故調査・支援センターは調査を終了したときは、その調査の結果を院長及び家族に報告しなければならない。6-17-5

   医療事故調査・支援センターは、この業務を行うとき業務規程を定め厚生労働大臣の認可を受けなければならない。6-18-1

   医療事故調査・支援センターは、毎事業年度、事業計画・収支予算書を作成し厚生労働大臣の認可を受けなければならない。6-19-1

   医療事故調査・支援センターは、毎事業年度、事業計画・収支予算書を厚生労働大臣に報告しなければならない。6-19-2

   医療事故調査・支援センターは、厚生労働大臣の許可を受けなければ調査業務を休止・廃止してはならない。6-20

   医療事故調査・支援センターの役員・職員・またこれらであった者は知り得た秘密を漏らしてはならない。6-21

   医療事故調査・支援センターは調査業務の一部を医療事故調査等支援団体に依頼することができる。6-22-1

   医療事故調査・支援センターは厚生労働省令で定める帳簿を備え、厚生労働省令で定める事項を記載し、これを保存しなければならない。6-23

4、厚生労働大臣が主語

   厚生労働大臣は、医療事故調査を行うこと及び医療事故が発生した病院等の管理者が行う医療事故調査への支援を行うことにより医療の安全の確保に資することを目的とする一般社団法人又は一般財団法人であって、次条に規定する業務を適切かつ確実に行うことができると認められるものを、その申請により、医療事故調査・支援センターとして指定することができる。 6-15-1

   厚生労働大臣は、前項の規定による届出があつたときは、当該届出に係る事項を公示しなければならない。 6-15-4

   厚生労働大臣は、前項の認可をした業務規程が調査等業務の適正かつ確実な実施上不適当となったと認めるときは、当該業務規程を変更すべきことを命ずることができる。 6-16-2

   厚生労働大臣は、調査等業務の適正な運営を確保するために必要があると認めるときは、医療事故調査・支援センターに対し、調査等業務若しくは資産の状況に関し必要な報告を命じ、又は当該職員に、医療事故調査・支援センターの事務所に立ち入り、調査等業務の状況若しくは帳簿書類その他の物件を検査させることができる。 6-24-1

   厚生労働大臣は、医療事故調査・支援センターが次の各号のいずれかに該当するときは、第六条の十五第一項の規定による指定(以下この条において「指定」という。)を取り消すことができる。 6-26-1

   厚生労働大臣は、前項の規定により指定を取り消したときは、その旨を公示しなければならない。6-26-2

 

 

『2018年玖珂医師会新年号に掲載』






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